「母を殺して私も…」 DV逃れ、シェルターから始まった新たな人生

社会 毎日新聞 2026年02月02日 12:00
「母を殺して私も…」 DV逃れ、シェルターから始まった新たな人生

 母の暴力が始まったのは小学3年の頃だった。

 シングルマザーの母と長女の自分、5歳年下の弟との3人暮らし。

 放課後、札幌市内の自宅で母に宿題を見てもらっている時、長女は分厚い国語辞典で頭を殴られた。

 容赦ない力の強さ。

 「甘」という漢字が書けなかった。母は無表情だった。

 休日の昼過ぎ。

 居間で母に買ってもらったカップ麺を食べようとして、膝に熱湯をこぼしてしまった。

 思わず膝を押さえ、その場にうずくまった。

 台所にいた母は無言で居間に入り、娘の首を絞めた。

 3秒ほどで力を緩めた母は、何も言わずに台所に戻っていった。

 心配してほしかった。

 片付けを手伝ってほしかった。

 「私はいらない存在なんだな」

 涙をこぼしながらお湯でぬれた床を一人で拭いた。

 母の暴力と暴言はやまず、中学生時代からは、こんな考えを持つようになった。

 「母を殺して、私も自殺しよう」

 札幌に住む白羽セラさん(仮名、22歳)は2003年に市内で生まれた。

 5歳で両親が離婚。家庭は困窮し、母は働き詰めだった。

 小学生のころ、学校から帰ると弟を風呂に入れ、寝かしつけまで担った。

 「ヤングケアラーだった」と振り返りつつ、当時は母の助けになれると喜びを感じていたという。

 優しかった頃の母は、料理をよく作ってくれた。

 カレー、ロールキャベツ、シチュー。

 「おいで」

 料理ができると、優しい表情で呼んでくれた。

 休みの日に作ってくれたバナナラッシーの味も忘れられない。

 「また飲みたいな」

 今も覚えている記憶だ。

 母が変わったのは小学3年の頃。

 暴力的な言動が増えた。

 白羽さんが自宅でピアノを弾いていると、背後から髪をつかまれ、椅子から床に頭をたたきつけられたこともあった。

 「お前なんかいなければ、私は幸せだった」

 首も絞められた。

 後に知ったが、母は精神疾患を発症していた。今はシングルマザーで仕事と子育てが大変だったとも思うが、当時は「母の機嫌が全てだった」。

 母の助けになろうと手伝っていた家事は、いつしか暴力から逃れるための手段になっていた。

 中学生になると、食事を与えられないことが増えた。

 弟には「学校で給食をいっぱい食べるといいよ」と教えた。

 母の奇行も目にするようになった。

 夜、台所で何かを叫びながら包丁を銀色の冷蔵庫にたたきつけていた。

 高校時代には、母が交流サイト(SNS)で白羽さんになりすまして友人に暴言を送っていたこともある。

 大学入試の志願書を目の前で切り裂かれ、試験当日は「死ね」と叫ばれた。

 「私がこの人の面倒を見て、弟を守らないといけないのか。これがずっと続くのかもしれない。それなら生きていても意味がない」

 ただ、こうも思った。

 「母のせいで私の人生が終わるのはおかしい」

記事後半では、白羽さんが母から逃れた手段やその後の「新しい人生」、社会に望むことを紹介します

 インターネットで調べると、児童虐待やDV(ドメスティックバイオレンス)、ストーカー、生活困窮などから被害者を守るシェルターや弁護士への相談制度などの支援があることを知った。

 警察…

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