「世界はウクライナだけだと思っていた」。開戦当初、ウクライナから隣国のポーランドに避難してきた13歳の少女はそう口にしました。生まれて初めて自分の街を離れ、たどり着いた異国の地。そこで日本人に出会った際に出た言葉です。
戦前、ウクライナの子供たちが持っていた日本についての知識は断片的なものでした。アニメやマンガは知っていても、地図上で日本がどこにあるかは分からない。空手や柔道、忍者や侍が日本発祥であることを知らない子も少なくありませんでした。もちろん、日本の子供たちでも世界地図でウクライナはどこかと聞かれ、すぐに示せる子は多くないでしょう。
そんな中、戦争が始まり、日本でも各地の学校などでウクライナ支援の動きが広がりました。ウクライナの子供たちは、日本からの支援について聞くだけではなく、支援物資に貼られた日の丸を目にし、自然と日本への関心を高めていきました。
両国の子供たちをつなげたい。この思いを形にしたオンライン交流会を何度か開催してきました。昨年10月と12月には、知人を介してウクライナ支援などで交流があった高知県香美市の香北中学校の生徒69人とウクライナ西部テルノピリ州にあるクレメネチ第1小学校に通う約20人の子供たちをつなげることができました。
交流会では、お互いの学校や住む地域の紹介のほか、自身の特技なども披露。香北中学校の生徒による吹奏楽の演奏もありました。空襲警報がいつ鳴るかも知れず、電力の供給も不安定。綱渡りではありましたが、盛り上がりました。
参加したウクライナの子供たちからは「日本の子供たちと話し、忘れかけていた平和な教育環境を思い出せた」という声や「ウクライナのことを知ろうとしてくれて、私たちのことを忘れないでいてくれてありがとう」との言葉が自然と出てきました。日本の子供たちもまた、ウクライナの状況を知り「恵まれていた自分に気付けた」と言います。交流会は両国の子供たちに大きな影響を与えています。
「いつか直接会いたい」。新たな夢はウクライナの子供たちにとって、戦禍を生き抜く力になるでしょう。
(日本語学校教頭 坂本龍太朗)
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さかもと・りょうたろう 昭和61(1986)年生まれ、長野県千曲市出身。2010年、ポーランドの大学院入学を機に移住。11年、ワルシャワに日本語学校を設立し、教頭として日本語や和太鼓など日本文化を伝えている。著書に「ウクライナとともに 涙と笑顔、怒りと感謝の365日」(双葉社)など。支援先の詳細は千曲市ホームページ。