娘の命、未来へつなぐ 災害関連死で娘亡くした母の10年の誓い

社会 毎日新聞 2026年04月10日 17:00
娘の命、未来へつなぐ 災害関連死で娘亡くした母の10年の誓い

 最大震度7の激震が2度襲った熊本地震は、14日で発生から10年を迎える。熊本地震で課題が浮き彫りとなったのが、熊本・大分両県で223人に上った「災害関連死」だ。

 入院先から転院後に亡くなり、後に災害関連死に認定された宮崎花梨(かりん)ちゃん(当時4歳)の母さくらさん(47)=熊本県合志市=は「娘の死を無駄にしたくない」と、災害関連死や災害医療について精力的に啓発活動に取り組んでいる。

 「花梨は入院中に被災し、熊本県外に転院搬送され、その後亡くなりました」

 3月19日、新潟市の朱鷺(とき)メッセで開かれた日本災害医学会の学術集会。花梨ちゃんの写真を首から下げて登壇したさくらさんは、全国から集まった医療関係者らに静かに語り始めた。

 花梨ちゃんと同じ悲劇を繰り返さないために、さくらさんは3年前、若手の医師や看護学生らを対象にした防災教育活動「KARIN project(かりんプロジェクト)」を始めた。災害関連死に関するさまざまな事例や課題を伝え、受講者はこれまでに900人超に上る。

 地震から10年の節目で実現した今回の発表は、プロジェクトの一つの集大成でもあった。

 娘を亡くした経験が活動の原点となっていること、プロジェクトへの参加をきっかけに日本DMAT(災害派遣医療チーム)の一員となった若手医師がいること、今後も活動の輪を広げていく計画を進めていること。さくらさんはこれまでの活動を振り返りつつ、こう締めくくった。

 「娘の経験から得た災害関連死という学びを悲しみにとどまらせず、防災意識の向上と災害関連死を減らす担い手の育成につなげていきたい」

 発表を終えた後、自然と涙が流れた。「一つ、花梨との約束に近づけたかな」

 生まれつき心臓の病気を抱えていた花梨ちゃんは、2度の手術を乗り越え、地震発生の3カ月前に熊本市立熊本市民病院(熊本市東区)で3度目の手術を受けた。最後の手術となる予定で、春から姉と同じ幼稚園に通うのを心待ちにしていた。だが、術後の経過が思わしくなく、合併症の重い肺炎を発症。集中治療室(ICU)に入ることになった。

 懸命の治療が続く中、2016年4月14日午後9時26分、最大震度7の前震に見舞われた。熊本市民病院は多くのスタッフがいる、市内でも有数の大病院だ。建物は古かったが「あそこにいれば安心だと思っていた」とさくらさん。花梨ちゃんは無事だった。

 だが、ICUが入っていた1979年完成の南館は、81年に設けられた国の耐震基準を満たしておらず、熊本市は資材高騰などを理由に、地震の前年に建て替え計画を凍結していた。

 耐震性に乏しい南館は、2度の激震には耐えられなかった。4月16日未明の「本震」で建物が損壊。ライフラインがストップするなど病院機能が失われ、倒壊の恐れもあった。人工呼吸器をつけて治療中だった花梨ちゃんを移動させることには大きなリスクがあったが、転院以外の選択肢はなかった。

 花梨ちゃんの搬送には多くの輸液や医療機器を一緒に運ぶ必要があったため、ドクターヘリでの搬送は難しく、搬送手段を決めるだけで多くの時間を要した。

 救急車内の機材を外に出して何とかスペースを確保し、搬送を始めたが、渋滞に巻き込まれたことに加え、花梨ちゃんの体への負担も考えて慎重に進まざるを得なかった。受け入れ先の福岡市内の病院に到着するまでに通常の倍の約3時間を要した。

 病院に到着した際、花梨ちゃんの体は目を疑うくらいにむくんでいた。容体は日に日に悪くなり、本震から5日後の21日に息を引き取った。災害関連死と認定されたのは、亡くなって約4カ月後のことだった。

 自然災害による建物の倒壊や津波などが原因で亡くなる「直接死」とは別に、避難生活や環境変化のストレスから体調が悪化して亡くなり、災害が原因と認められる「災害関連死」。熊本地震では、災害関連死の死者数は直接死の4倍超に上った。

 花梨ちゃんのように病院の機能停止が原因となる場合もあれば、過酷な避難生活や被災による心身の負担、疲労が原因になるケースもあり、状況は千差万別だ。

 自治体から災害関連死に認定されると、災害弔慰金支給法に基づき最大500万円が遺族に支給される。ただ、認定基準は自治体間でばらつきがあり、遺族と自治体の紛争が法廷に持ち込まれるケースもある。

 また、遺族の申請や自治体の認定がなければ関連死として扱われないため、実態把握が不十分との指摘もある。さくらさんは「熊本地震での災害関連死の死者数は、全てを表しているとは言えない。申請できなかった人もいるはず。そこにきちんと目を向けることが、災害関連死を考える上では大事なことだと思う」と語る。

 さらに申請作業をする遺族の心理的負担、制度の周知不足など、関連死を巡る課題は山積している。

 さくらさん自身も申請書類の作成にあたり、当時の状況を思い出す度に後悔から自らを責め、苦しんだという。

 花梨ちゃんの病状は、地震が起きる前から予断を許さなかった。病気で亡くなっていた可能性も否定はできない。それでも「地震がなかったら、あんなに早く亡くなることはなかったと思う。1分でも、1秒でも長く生きていてほしかった、一緒にいたかったと強く思うんです」。

 24年には、かりんプロジェクトの一環で「災害関連死を考える会」を発足させ、メンバーや外部の有識者が定期的にミーティングを開き、情報共有したり意見交換したりしてきた。

 昨年は東京弁護士会などが主催した災害関連死について考えるシンポジウムで講演。今年10月には、鳥取県で開かれる「防災推進国民大会」に参加して啓発活動をする予定だ。「私のような思いをする人が出ないように活動を広げていきたい」と決意を語る。

 宮崎家の食卓には、今も花梨ちゃんの分の食事が並び、家族でだんらんの時間を過ごしている。「食事を作るのをやめたら花梨が悲しむかな、と考えるとやめられなかった」。自宅リビングには、花梨ちゃんが着ていた服や大好きだったキャラクターのグッズなどが所狭しと置かれている。

 地震から10年がたつ今も「病院に行けば花梨がいるんじゃないかな」と思うことがある。世間では10年という節目が強調されるが、「遺族には区切りなんてない」。それでも月日は確実に過ぎ、「熊本地震を知らない世代が増えてくる」と危機感も募る。

 さくらさんは、天国にいる花梨ちゃんに誓っていることがある。「いずれ花梨のところに行った時に『頑張ったね』と言ってもらえるように日々を過ごしていく」

 生きていればこの春、中学3年生になった花梨ちゃんと共にこれからも歩み、自らの言葉で熊本地震を語り続けるつもりだ。【黒澤敬太郎】

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