「普天間飛行場は今後5年ないし7年以内に全面返還されることになります」
1996年4月、当時の橋本龍太郎首相はモンデール駐日米大使との会談後、共同記者会見に臨み、日米の電撃的な合意に胸を張った。
それから12日で30年がたつ。
合意は履行されないまま、沖縄県宜野湾市の中心部にある米軍普天間飛行場では今もひっきりなしに軍用機が離着陸する。
政府は県内移設先に決めた名護市辺野古沿岸部で埋め立てを進めるが、移設が完了するのは順調にいっても10年以上先だ。
日米両政府が返還合意に至った背景には、沖縄での反基地感情の高まりがあった。
95年9月、沖縄では米兵3人が小学生女児を暴行する事件が発生。翌月に宜野湾市で開かれた県民総決起大会には主催者発表で8万5000人が集まり、基地の整理・縮小などを求めた。
市街地にあり、危険性が指摘される普天間飛行場の返還は県側の強い要望に政府が応えたものだった。しかし、その条件は基地機能の県内移設だった。
日米両政府は移設先を名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ周辺に定めたが、その形状や使用期間、受け入れの是非などを巡って、政府と県、名護市の間で意見はすれ違い続けた。
2006年、日米両政府は代替施設について、シュワブ沿岸部を埋め立て、長さ1800メートルの滑走路2本をV字形に配置する現在の案で合意した。しかし、09年に「最低でも県外移設」と訴えた民主党政権が発足し、移設を巡る問題は再び混迷を深めた。
民主党政権は1年足らずで県外移設を断念し、辺野古移設案に回帰したものの、沖縄県内では基地の集中を「差別」と捉える考えが広がった。
12年の衆院選で自民、公明両党は政権に復帰した。政府は13年12月、当時の仲井真弘多(ひろかず)知事から辺野古の埋め立て承認を得た。
翌14年の知事選で仲井真氏は、辺野古移設反対を掲げた翁長雄志(おながたけし)氏に大敗。それでも政府は、県民の民意を顧みず、移設計画を推進した。
18年12月、シュワブ南側の海域に土砂が投入され、埋め立てが始まった。一方、東側の海域では広範囲に軟弱地盤が見つかり、政府は当初計画を変更して地盤改良工事を実施することに。法廷闘争の末、変更の承認手続きを玉城デニー知事に代わって国土交通相が代執行し、24年12月に地盤改良工事に着手した。
計画では約152ヘクタールの海域を埋め立てる。現在、シュワブ南側の約41ヘクタールでは埋め立て工事がほぼ完了。東側の海域は7万本を超えるくいを打ち込んで地盤を改良する計画で、工事が順調に進んでも移設完了は36年以降になる。
政府は総事業費を当初、「少なくとも3500億円」としていたが、その後、約9300億円に修正。さらに膨らむ可能性がある。【遠藤孝康】