天皇ご一家6年ぶりの大相撲観戦 皇室と国技、賜杯を巡る逸話も

社会 毎日新聞 2026年02月02日 11:00
天皇ご一家6年ぶりの大相撲観戦 皇室と国技、賜杯を巡る逸話も

 初場所8日目の1月18日、満員御礼の両国国技館(東京都墨田区)で、天皇、皇后両陛下と長女愛子さまは観客と一体となって大相撲を楽しまれた。歴代天皇の観戦は珍しくないが、今回は6年ぶり。取組を終えた横綱・大関陣との懇談の場も初めて設けられた。「皇室と大相撲」の逸話を振り返る。

 この日、横綱の豊昇龍関(モンゴル出身)、大の里関(石川県出身)、大関の琴桜関(千葉県出身)、安青錦関(ウクライナ出身)の上位陣は総崩れとなった。

 「みんな負けちゃったから気を使っていただいたのではないか」

 懇談でご一家は勝敗を持ち出さなかったといい、日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)はこう推察。ご一家は緊張する横綱・大関陣に率先して話題をふり、話を広げていたという。八角理事長や側近の話を総合すると、その内容は多岐にわたる。

 豊昇龍関との話題はモンゴル。天皇陛下は2007年のモンゴル訪問で、豊昇龍関の叔父の横綱・朝青龍関(当時)の家族と交流しており、そこに幼い豊昇龍関もいたという思い出話になった。皇后雅子さまは前日の取組での額のけがを気遣った。

 大の里関には、両陛下も愛子さまも、24年に地震や豪雨被害に遭った能登半島の被災地を案じる言葉をかけた。ご一家は発災後、現地で地元の人々の声を聞いている。雅子さまが「ご活躍が石川、能登の皆さんの励みになっています」と話すと、愛子さまは石川県七尾市の被災者から聞いた「大の里関は希望の星」との言葉を伝えた。

 祖父は元横綱、父は元関脇の琴桜関とは、両陛下世代と愛子さま世代とでテレビで見ていた力士の違いも話題に。「相撲一家」の話が発展し、琴桜関は2歳からまわしを締めて稽古(けいこ)していたという生い立ちを語った。

 ロシアによる侵攻でウクライナを離れた安青錦関には、両陛下が「早く平和が訪れるよう願っています」と伝えた。雅子さまは25年12月の誕生日に公開した文書で「戦乱を逃れて日本にやってきた高校生が、一心に稽古(けいこ)を重ね、大関まで昇進したことに感銘を受けた」とつづっていた。

 和やかな懇談の背景には、大相撲の伝統を大切にするご一家の思いがある。懇談前は国技館2階の貴賓席で、八角理事長に質問を重ねながら、幕内後半を弓取り式まで観戦した。

 その際、取組表に勝敗を書き込む愛子さまの姿があった。愛子さまは幼少期、星取表をつけながらテレビ観戦を楽しんでいたという。4歳だった06年9月、国技館での初観戦の日も両陛下の間に座り、勝敗を記録しながら熱心に見つめていた。

 この頃の愛子さまの相撲への熱中ぶりは、記者会見などで陛下がたびたび明かしてきた。陛下や職員と相撲をして技を再現してみたり、力士を「朝青龍明徳、ドルゴルスレン・ダグワドルジ」のようにフルネームや本名で覚えたりしていたという。

 皇室では、昭和天皇が筋金入りの好角家として知られる。子供のころは弟や学友と相撲をとって遊び、力士絵はがきもお気に入りだった。戦後、国技館での大相撲観戦は40回に上る。

 昭和天皇ほど頻繁ではないが、上皇ご夫妻も平成の頃、初場所観戦がほぼ恒例だった。令和になり、ご一家の観戦が久しぶりだったのは、コロナ禍や能登半島地震の発生などの事情による。

 ただ、社会情勢ではなく、暴行事件や八百長問題など角界の不祥事で途絶えた過去もある。相撲協会側が観戦依頼を出さなかったり、辞退したりしたためだ。現役力士らによる野球賭博問題が世に出た10年には、相撲協会が7月の名古屋場所で、幕内優勝力士への「天皇賜杯」授与を自粛した。

 名古屋場所の千秋楽、3場所連続で全勝優勝した横綱・白鵬関(当時)は表彰式で無念さをあらわにした。銀に輝く大きな賜杯はない。「この国の横綱として、力士代表として天皇賜杯だけはいただきたく思っていた」と声を震わせた。

 上皇さま(当時は天皇陛下)は後日、側近を通じて白鵬関にねぎらいの気持ちを伝えた。困難な状況ながら奮闘してつかんだ全勝優勝を祝い、今後も元気に活躍をと願う内容だった。

 賜杯をめぐる逸話は多い。

 大相撲の原形ができた江戸時代、相撲の全国組織はなく、相撲興行は各地で開かれていた。東京のみならず大阪でも盛んだったが、明治に入って大阪は衰退。東京の相撲協会が常設の興行場として国技館を設けたように、大阪の相撲協会も1919(大正8)年に「大阪国技館」を建設したが、復活の切り札にはならなかった。

 そこに「賜杯」が登場する。東京の相撲協会は25(大正14)年、大正天皇の摂政を務めていた昭和天皇の誕生日に住まいの東宮御所で相撲を披露。昭和天皇からの金一封を元に賜杯を作り、翌年春場所から優勝力士に授与するようになった。

 「東京だけで独占するのはおそれ多い」。東京側がそう申し出て大阪側が受け入れ、東西合併が実現したとされる。

 現在、日本相撲協会の定款には「太古より五穀豊穣(ほうじょう)を祈り執り行われた神事を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させる」と目的が記されている。また、横綱には品格が求められるという。

 神事、固有の伝統、秩序、品格――。長い歴史を語るキーワードが似ている皇室と大相撲。新たな逸話がこれからも生まれるかもしれない。ご一家の案内を終えた八角理事長は「平和だからこうやって来てくれる。平和だからこそ相撲ができる。それを祈るのが相撲」と語っていた。【山田奈緒】

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