~沖縄と旧暦~故郷の島を思い祈る 十六日祭のミーグスク

社会 毎日新聞 2026年04月04日 12:00
~沖縄と旧暦~故郷の島を思い祈る 十六日祭のミーグスク

 沖縄には3度、正月がやってくる。新暦の正月、前回紹介した旧歴の正月(旧正月)、そして、旧暦1月16日に訪れる「後世(グソー」の正月だ。

 その日は「十六日祭(ジュウルクニチー、ジュウルクニツなど)」と呼ばれる。亀甲墓の前に親族で集まって食事をし、後世、つまりはあの世の正月をご先祖様とともに祝う。

 沖縄本島では同様の行事を4月の「清明祭(シーミー)」に行う地域が多いが、八重山・宮古地方や本島周辺の離島では十六日祭に重きが置かれる。

 今年の十六日祭前に私がたまたま出張で訪れた宮古島。スーパーには、果物などのお供え物や重箱料理の食材がずらりと並んでいた。

 故郷を離れて暮らす離島出身者は、この日に合わせて帰省する人も多い。しかし、船や飛行機はお金も時間もかかり、平日と重なれば休みも取りづらい。

 では、帰りたくても帰れない人たちはどうするのか。沖縄本島には、そんな離島出身者たちが集う場所がある。那覇港の近くにある「三重城(ミーグスク)」だ。

 三重城は琉球王国時代の16世紀ごろ、海から来る敵の侵入を防ぐとりでとして、沖合の岩礁に石橋をつないで造られた。1609年の島津による琉球侵攻以後は、港を出入りする船を見送るために利用されたという。

 その後は埋め立てられて陸続きとなった。今ではホテルに隠れ人目につきにくくなっているが、高台にある広場を囲う古い石垣にかつての面影が残る。

 今年の十六日祭に当たる3月4日、私は三重城に初めて足を運んだ。「海に向かって手を合わせる」という漠然としたイメージしかなかった。どれほどの人がやってくるのかもわからなかったが、驚いた。

 朝から夕方まで、いろんな島の出身者が入れ代わり立ち代わり、途切れることなくやってくるのだ。

 祈るときは生まれ故郷の島の方角を向くのが、暗黙の了解になっている。西から南の方角にかけて海に開けている三重城からだと、出身の島によっては海に背を向けて手を合わせることにもなる。

 祈り方は家族ごとに少しずつ異なるものの、6本の線香が板状につながった「ヒラウコー」に火を付け、あの世のお金である「ウチカビ」を燃やす。それから、重箱料理やお菓子を広げて家族、親族で食べるのはおおむね共通している。

 今年は天気にも恵まれ、事情を知らない人からすればピクニックをしているように見えるかもしれない。

 石垣島出身の妻と三重城を訪れた宮古島出身の立津元信さん(79)は「本当は帰りたいけれど、新型コロナウイルスやインフルエンザに感染しないよう控えている」。

 子どものころを振り返り、「お供え物を食べるのが楽しみだった」と懐かしんだ。

 武鑓(たけやり)まりえさん(65)は生まれ故郷の久米島に向かい、手を合わせた。島の父親が亡くなった15年ほど前から三重城を訪れており、「仕事もあって島に帰ることは難しいけれど、ここから天国に思いが通じるといい」と笑顔を見せた。

 波照間島を出て40年ほどになる兄妹は「島で十六日祭は一大イベントで、学校も午後から休みになった」と懐かしんだ。波照間島は石垣島からさらに船で1時間以上かかる、日本最南端の有人島だ。

 海が荒れて船が欠航することも少なくなく、狙った日に帰省するのは容易ではない。「一年間、みんなが健康に過ごせるように見守ってください」と祈りを込めたという。

 ほかにも、粟国島出身の人たちとは、2月に取材した地域行事「マースヤー」の話題で盛り上がった。

 神事に詳しい宮古島出身の女性からは、ウチカビにも税金やお小遣いがあり、多めに燃やしてあの世に届けなくてはいけないことを教えてもらった。

 いつもは沖縄本島に溶け込み暮らしている人たちが、十六日祭にはそれぞれの島の空気をまとい、和気あいあいと三重城で過ごす。多様な沖縄が凝縮した小さな広場は、にぎやかに、そして色鮮やかに感じられた。【喜屋武真之介】

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