先行きの見通せない世界情勢下で、日本を取り巻く環境もめまぐるしく変わる中、日本に軸足を置きながら、その歴史や伝統、文化を改めて見つめ直す「親日保守」を考える。
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終戦1年前の昭和19年秋、米軍の波状攻撃の前に陸海軍は特攻作戦に踏み切った。大西瀧治郎中将が自ら「統率の外道」と称したように想像を絶する作戦だった。世論はこの80年間、「有無を言わせぬ命令だった」という議論に終始し、「特攻作戦=悪」論が繰り返されてきた。だが、多くの若者が操縦桿(かん)を握ったのは、紛れもない事実だ。さまざまな思いがあったのは当然だが、それでも若者たちはなぜ操縦桿を握れたのか-。その答えを求めて、三十有余年、元特攻隊員や遺族への聞き取りを続けてきた。
特攻隊員の声に耳を傾けていると、多くのことに気づかされるが、並行して、滅びると分かっていても最後まで後醍醐天皇に忠義を尽くし、国を守ろうとした楠木正成の生き様が重なってくる。楠木正成が足利尊氏の軍に敗れ自刃した際に残したとされる「七生報国」という言葉を引用する隊員も多い。「七生報国」とは、「七度生まれ変わってでも朝敵を倒し、国を守る」という意味だ。
人間魚雷回天を考案した黒木博司大尉=当時(21)、没後少佐=も楠木正成に影響を受けた一人だ。