イラン情勢が急迫する中、ある大学柔道部の選手がドーハで足止めされているのを知った。聞けば、武者修行の一環で渡航したという。私が連絡を取った中東在住の知人は、親身になって選手を気遣ってくれた。
安全情報が届く外務省のメール配信サービスへの登録法や、どの国を経由すれば日本に戻りやすいかなど、私だけでは集め切れない情報がSNSで送られてきた。それらを大学の監督にお伝えし、選手はその後、無事に帰国できたそうである。
私一人の力には限界がある。それでも誰かのために腰を上げることができるのは、中東の知人のように、同じ思いを私に重ねてくれる人が周りにも遠方にもいるからだ。
あの人、元気にしているだろうか。何かに困っていなければいいのだが-。
国内外で起きた事故や災害などのニュースを見る度、各地にいる知己の顔を浮かべ思案を巡らせる。15年前の東日本大震災は、自分が何をできるか考える契機になった。
仙台の親戚とは音信不通。無事が確認できるまでの数日を不安のうちに過ごしている。直後に東京で試合があり、「こんなときに柔道を?」と自己嫌悪にさいなまれもした。
あの震災は一方で、柔道の価値、スポーツの力を再確認させてもくれた。発生の翌月、全日本選手権で4度目の日本一になった私に、被災地からお招きした方々が「あなたが勝ってくれてよかった」と顔中を涙にして喜んでくださった。そのときの感慨はいまも、前に進む上での燃料になっている。
国士舘大では当時、ボランティアで被災地に赴く学生が多かった。「講義の出欠をどう扱うか」「単位をどうするか」と議論の続く教員会議で、「彼らは国士舘の名を背負って行っているんです。大学が後押ししないでどうするんですか」と声を励ましたのも、若者の熱意を裏切るまいとの一念からだ。
私自身、多くの仲間とともに寄付を募り、支援物資を送るなど東北のためにできることを続けてきた。被災とは異なる事情で苦境に立つ人もいる。誰かが助けを必要としている限り、素通りすることなく、手を差し伸べる側の一人でありたい。
「命なくして夢語れず」と最近、よく思う。生きている者の責務として、やらねばならないことはまだまだ多い。あの震災はいまも、私たちに生きる意味を問い続けている気がする。
(柔道男子日本代表監督、国士舘大学体育学部教授)