お家芸になったX線天文学 創始者の一人、小田稔先生

科学・医療 産経新聞 2026年04月01日 11:30
お家芸になったX線天文学 創始者の一人、小田稔先生

今回は一人の天文学者のお話をします。その方とは小田稔先生(1923~2001年)です。世界のX線天文学の創始者の一人であり、日本のX線天文学を「お家芸」と称せられるまで育て牽引(けんいん)された方です。もっとも、これは小田先生お一人の業績ではなく、多くの先陣の先生方の知恵と努力が結集した結果でありますが、とはいえ小田先生の存在はとても大きかったのは事実だと思います。

さて、「小田先生」と書きましたが、じつは天文学者の間では、「先生」という敬称を避ける傾向があります。といいますのも「先生」がいつも正しいとは限りません。しかし「先生」という権威を認めてしまうと、弟子は先生に気兼ねして、自分が正しいと思うことを自由に言えなくなり、その結果、学問の発展が阻害されかねないと案じるからです。学問の世界においては、「先生」も「弟子」もなく、「先輩」も「後輩」もなく、みな同じ立場で議論(意見)を戦わせるのが健全なのです。

そうした考え方に鑑みて「先生」という表現を避ける傾向があるのですが、このコラムは学術論文ではありませんので、以下、「小田先生」とお呼びすることにします。そのほうが私にはしっくりきます。

X線天文学が生まれたのは1960年代のことです。天文学の歴史は古いのに、なぜX線天文学の創始が遅れたのでしょうか。それは、X線検出装置を空に向けるだけでは、宇宙のX線をとらえられないからです。

それもそのはず、X線は地球大気に吸収されてしまって地上に届きません。宇宙からのX線が雨水のように地上に降り注ぐようでは大変危険です。X線は人体に有害だからです。地球大気は危ないX線から地上の生物を守ってくれているのです。

したがって宇宙からのX線を観測するには、X線検出装置を地球の外に持ち出さないといけません。すなわち、X線検出装置をロケットや人工衛星に載せ、地球の外に出て観測するのです。この技術が確立してようやくX線天文学が花開いたのです。

観測装置を宇宙に打ち上げるのはとても大変な作業です。まず宇宙は真空なので、真空に耐えるような装置設計をしないといけません。また打ち上げの際、ロケットは激しい衝撃を受けますから、観測装置はその衝撃に耐えるように丈夫に作らないといけません。

打ち上げられる重量は限られていますから、余分なものをそぎ落とし本当に重要なものだけを搭載しないといけません。さらに宇宙で故障しても修理できませんから、地上での試験を何度も何度も繰り返します。ほかにもいろいろ困難がありますが、それらの困難をすべてパスして初めて、X線観測衛星が成果を挙げるのです。

さて、こうして宇宙に打ち上げたX線観測装置で何を観測するのでしょうか。それはX線を出す星で、「X線星」と呼ばれたりします。今でこそX線星はたくさん知られていますが、X線観測衛星の打ち上げ前には、そんな星があるとは誰も知りませんでした。そこで、最初に打ち上げをしたイタリア出身のジャッコーニ氏が考えたのは、「太陽のX線を反射して光る月を観測しよう」だったのです。太陽がX線を出していることは当時から知られていましたが、いざX線観測衛星を打ち上げてみると、予想に反して明るいX線星が次から次へと見つかりました。この業績でジャッコーニ氏はノーベル賞を受賞しました。

なかでも特に明るいX線星が3つありました。かに星雲(かにの形にみえるガスの雲)、さそり座X-1(さそり座で一番明るいX線星)、はくちょう座X-1(はくちょう座で一番明るいX線星)です。そのうち、小田先生のお気に入りがはくちょう座X-1でした。

さて1970年当時のこと、まだブラックホールは、天文学者の間で市民権を得ていませんでした。アインシュタイン理論で「あるかもしれない」などと言われていましたが、それは頭の中で考え出しただけで、実際にあることを証明するにはその証拠を見つけないといけません。

小田先生は、はくちょう座X―1を丁寧に観測し、ほかのX線星にはない特徴を発見されました。「明るくなったり暗くなったり、激しく明るさが変化する」という特徴です。この観測的証拠をもとに、「これはブラックホールではなかろうか」と主張されたのです。この主張自体は厳密な証明ではなかったのですが、最終的には世界に受け入れられ、はくちょう座X―1は人類史上最初に認定されたブラックホールとなりました(諸説あります)。

さて、私は小田先生の弟子ではありませんし、小田先生のような実験家・観測家でもありません。しかし小田先生との共通点が一つありまして、それがブラックホールだったのです。小田先生の発見されたブラックホールの特徴を理論的にどう説明するか、さんざん考えて、小田先生と何度もお話しさせていただいたことを懐かしく思い出します。

小田先生の口癖は「いやーっ、それはおもしろいね」、何度も耳にしました。若輩の私からみると雲の上のような存在の方から、そのように声をかけられると、「もっともっと考えて、小田先生の意見を伺おう」という思いが高まります。そう思ったのは私だけではなかったでしょう。一人一人の声に真摯(しんし)に耳を傾け、「いやーっ、それはおもしろいね」とどんどん後押ししてくださることにより、多くの研究者が育ちました。こうしてX線天文学は「日本のお家芸」となったのです。

嶺重慎(みねしげ・しん) 昭和61年、東京大大学院理学系研究科(天文学・博士課程)修了、理学博士。海外の研究機関(マックス・プランク天体物理学研究所、テキサス大オースティン校、ケンブリッジ大)で研究員を歴任した後、茨城大理学部、京都大大学院理学研究科、基礎物理学研究所で研究・教育に携わる。令和5年3月、京大を定年後、京大名誉教授。専門のブラックホール研究に加え、一般書執筆、バリアフリー天文教材の制作やワークショップ活動も精力的に行っている。

関連記事

記事をシェアする