沖縄・辺野古転覆事故で、死亡した金井創船長(71)が、「辺野古の海の危険性」を認識していたことが分かった。自著『沖縄・辺野古の抗議船『不屈』からの便り』(みなも書房)に、「船を走らせるとなると本当に怖い海」などと記していた。転覆した抗議船「不屈」についても操船の難しさを明かしていた。
金井船長は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設工事に反対し、抗議活動を続けてきた。同著では、2007年から辺野古で船長となり、14年から「不屈」の船長になったと述べている。
抗議船「不屈」の船名は、日本共産党の瀬長亀次郎元衆院議員(故人)が「色紙などによく書いた座右の銘といってもよい言葉」から命名したといい、「辺野古の海」については次のように書いている。
「見ている分にはきれいですが、船を走らせるとなると本当に怖い海なのです。岩礁やサンゴが海面下に隠れています。潮が引いてくると危ないところがあちこちいっぱいになります、その場所を教えてもらっても海には目印がありませんから、すぐにどこだったのかわからなくなります」「あの怖さは忘れられません。訓練を受けていた二ヶ月の間にスクリューを二個こわしてしまったほどです」(同著24ページ)
現役の漁師に「辺野古の海は難しいよ。ここで一ヶ月やったらほかの海で一年やったのと同じだからね」と言われたという。
金井船長は、抗議船「不屈」の操船の困難さについても言及している。
「日頃、仲間の船長たちからも『不屈は難しい』と言われる」「小柄な人には前方がほとんど見えない。ハンドルやレバーが固い、キャビンという構造物があるせいで風の影響を非常に受けやすい、ほかの船とはハンドル、レバーの位置が逆で戸惑う、というようにいろいろあります」(同85ページ)
このほか、抗議船の船長という立場について、「共に乗り組んでいるメンバーたちの命を預かる立場です」「座礁の危険がある海域にもいかなければなりません」と記していた。
海上での抗議活動については「強風波浪注意報が出る中、(不屈とともに抗議する)カヌーメンバーも船の仲間も波に揺られ、寒さに震えながら(年明けの抗議で)五時間以上粘りました」との記述もあった。
今回の事故は3月16日、「平和学習」で訪れた同志社国際高(京都)の生徒らが分乗した金井船長の「不屈」と「平和丸」の2隻が転覆した。
金井船長と2年生の武石知華(ともか)さん(17)が亡くなり、多数のけが人が出た。当時、「波浪注意報」が出ており、海上保安庁のゴムボート(巡視船の搭載艇)が「本日は波が高いので十分に気を付けてください」と注意を呼びかけていたという。