弟は、明るく、強く、がんと闘った。兄は「何かできないか」と、人知れずもがいた。2人は、レモネードの売り上げを病院などに寄付し、小児がんの子どもたちのために役立ててもらう「レモネードスタンド」を一緒に開こうと約束した。だが、願いはかなわなかった。弟は実現を目前に、この世を去った。
「レモネードいかがですか!」。兵庫県尼崎市の阪神尼崎駅前の広場で、大阪府豊中市に住む高校2年、土井颯大(そうた)さん(16)と母かおりさん(44)が、集まった人たちに声をかけていた。
颯大さんと三つ違いの弟大地さんに小児がんが見つかったのは、2016年12月。大地さんが保育園に通っていた5歳の時だった。
小児がんは15歳未満の子どものがんの総称で、大地さんは神経芽腫の診断だった。腫瘍の摘出や抗がん剤の投与など1年間の治療が実り、元気になった。小学生になった大地さんは大好きなサッカーで汗を流す日々を送っていた。
だが、3年半後の21年6月に再発、またしても病気との闘いが始まった。かおりさんは入院生活に付き添い、颯大さんは時間を作って見舞いに通った。
家族は大地さんの体調と相談しながら、大地さんの願いを一つ一つかなえていくことにした。月に1回のペースで旅行に出かけ、富士山への登頂を果たしたほか、オーストラリアへも渡航した。颯大さんは「一緒にゲームをしたり、話をしたり、遊んだり。僕たちはとても仲のいい兄弟でした」と振り返る。
一方、颯大さんは胸の内にある思いを秘めていた。弟と違って自由に好きなことができる「罪悪感」だ。「弟は治療の毎日。友達と遊びたい、学校に行きたいと言っているのに……」。弟のために「何かできることはないか」と考えたが、簡単には見つからない。かおりさんは「颯大が普通に生活してくれることだけで十分。罪悪感を抱える必要はないよ」と言って聞かせた。
颯大さんがレモネードスタンドをやってみようと考えたきっかけは、自分が取り組んでみたいことを実際にプロジェクトとして企画する高校の授業での体験だった。
レモネードスタンドは、アメリカが発祥。00年、小児がんと闘う当時4歳の少女が治療法を見つけてもらおうと、自宅の庭先で家族とレモネードを販売し、売り上げを病院に寄付した。この話がメディアで取り上げられ、全米に波及。日本でも広がりを見せ、颯大さんも見聞きしていた。
「どんな味がいいかな?」「いっぱい売ろうな!」。颯大さんと大地さんは一緒に準備に取りかかり、24年10月に兵庫県丹波篠山市で開かれる祭りへの出店が決まった。
だが、祭りまで1週間を切った頃、大地さんの容体が急変する。息を引き取る前、大地さんはかおりさんにせがんだ。「ママ、ぎゅってして」。奇跡は起きなかった。
颯大さんは、大地さんが亡くなってから一度も涙が出ないという。「つらいという気持ちよりも困惑の方が強くて……。今もまだ、しっかりと弟の死を受け入れられていない感じなんです」。そして、続けた。「闘病生活の中で、大地がどう死と向き合っていたのかは今も分かりません。大地だったら治るんじゃないかなって思わせるほど、いつも明るくて、強い弟でした」
大地さんが楽しみにしていた気持ちを酌んで、祭りのレモネードスタンドは予定通り開いた。その後も各地で出店を続ける中で、颯大さんは「小児がんと闘っている子どもや自分のように罪悪感を抱えているきょうだいたちの役に立ちたい」と考えるようになり、NPO法人を設立して活動の幅を広げようと決意した。
かおりさんも颯大さんの取り組みをサポートする。「大地がいなくなった世界を生きるのは、すごくしんどい」と話すが、出店を通してその生き様を知ってもらうことで、「亡くなった後も成長を続けているような気持ちになる」という。
設立準備中の「おおさかレモネードスタンドプロジェクトPilina(ピリナ)」(豊中市)は7月上旬ごろ、NPO法人の認証を受ける予定だ。「Pilina」はハワイの言葉で「絆」や「大切な人とのつながり」を意味する。かおりさんによると、現地の人々が深い願いを込めて使う言葉だといい、語感も気に入った。
13歳で生涯を閉じた大地さん。「小児がんを治る病気にしたい」。その思いが、最愛の弟を失った颯大さんの原動力になっている。【中川博史】