大学に入り、建築が「趣味」になった。
北海道由仁町で設計事務所「フルサン・アトリエ」を経営する1級建築士の篠原航太さん(40)。
高校までバスケットボール一筋のスポーツ少年で、建築の知識もほぼゼロだった。
漠然と思い浮かんだ建築学科のある大学を選んで進学を決めると、祖父から意外なことを聞く。
父は会社員、母は専業主婦。姉と妹を含め、家族に建築に携わる人はいない。高校時代は著名な建築家すら知らなかった。
強いて建築学科を選んだ理由を挙げるならば、父が絵を描くことを趣味にしており、篠原さん自身も幼少期から絵を描いたり、木彫りをしたりすることが好きだったことだ。
「ものづくりをしたいという気持ちがあり、その延長で建築学科を選んだのかもしれない」
進学先を決めると、母方の祖父・毛綱(もづな)清松さんに食事に誘われた。
「いとこに有名な建築家がいたんだよ。建築学科に入るなら、作品を見に行った方が良い」
いとこの名前は毛綱毅曠(きこう)さん(2001年、59歳で死去)。
釧路市出身で市立博物館や市湿原展望台を設計し、1985年に日本建築学会賞を受賞している。
釧路フィッシャーマンズワーフMOO(ムー)なども手がけた、日本のポストモダン建築を代表する一人だ。
遠い親戚とはいえ、親類縁者に建築家がいたことは初耳だった。
毅曠の代表作は母のために建てた住宅「反住器」。釧路に見に行った。
「すごく不思議な建物で、内部は複雑な光の空間となっており、魅力的だった」
もしかしたら、篠原さんにも建築家としての血がもともと流れていたのかもしれない。
漠然と選んだ進路だったが、大学2年の後期から専門課程が始まると、建築の世界に魅了されていく。
大学3年の夏に米国、翌年の春にはスペインやフランスに行き、近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトやミース・ファン・デル・ローエ、アントニ・ガウディらの作品に触れていった。
「教科書や書籍で見ていた作品を実際に見てみると、空間体験が面白くて、好きな建築家が増えていった」
心をひかれたのは巨匠たちの作品だけではない。
例えば、スペイン・コルドバにある「メスキータ」(モスク)の内部はまるで森の木のように無数の柱が立っており、不思議な空間を作り出していた。
「建築は、建物の中にどう光を取り入れていくかが大事だと思っている。メスキータの内部は光と余白があり、自由に、かつ自然に過ごせる空間を作り出していた。光と建物の素材がうまくかみ合ってできており、すごく魅力的だった」
大学院の修士課程も含め、趣味となった建築にどっぷりとつかり、充実した学生生活を送った。
就職先を決める時、同級生の多くは大手のゼネコンや設計事務所を選んだが、自身はあえて職員がわずか3人のアトリエ系の個人事務所を選んだ。
「大手ゼネコンに入って『ビルを作るぞ』という気持ちは全くなく、小さくても手仕事にこだわったものをつくりたいと思った」
理想の建物を夢見て、札幌市内の小さな設計事務所から新たな一歩を踏み出した。【高山純二】
1985年生まれ、札幌市出身。札幌手稲高、北海道大工学部卒、同大学院工学研究科修了。堀尾浩建築設計事務所(札幌市)、武部建設(岩見沢市)を経て、自身の設計事務所を設立した。1級建築士、2級大工技能士。北大非常勤講師も務める。